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誕生・揺藍
成長期
拡大・発展期
飛躍への準備
ホトニクスの時代
新しい世紀に向かって
次代を拓く
飛躍への準備(1970~1977)
年
会社経歴・製品開発
世相
1970
(昭和45)
サイドオン型マルチアルカリ光電子増倍管、ホローカソードランプ、重水素ランプ発売
大阪万国博覧会開幕
1971
(昭和46)
東京事務所を東京営業所と改称、麻布に移転
3インチ光電子増倍管(シンチレーション用)発売
ドルショック
沖縄返還協定調印
1972
(昭和47)
本社(市野町)に体育館完成
1/2インチヘッドオン型光電子増倍管、フォトンカウンティング用光電子増倍管、GaAs光電子増倍管、シリコンフォトダイオード、X線ビジコン発売
ハイマン社(西独)と技術提携
札幌冬季オリンピック開催
1973
(昭和48)
豊岡製作所第1棟完成
西独合弁会社ハママツ・テレビジョン・ヨーロッパ・ゲー・エム・ベー・ハー設立
資本金6000万円に増資
当時の豊岡製作所
江崎玲於奈博士、ノーベル物理学賞受賞
1974
(昭和49)
資本金9000万円に増資
フィリップス社(オランダ)と技術援助契約
佐藤栄作元首相、ノーベル平和賞受賞
1975
(昭和50)
液体シンチレーション用光電子増倍管、X線CT用光電子増倍管、イメージライザ発売
第1回主要先進国首脳会議(サミット)開催
1976
(昭和51)
ロッキード事件発覚
1977
(昭和52)
コンピュータ用ビジコンカメラ、ストリークカメラシステム、超高速測光装置発売
日本初の静止気象衛星「ひまわり1号」打ち上げ
固体素子の新たな主流
当時CdSセルを納入していたカメラメーカーより、CdSよりも測定精度、応答特性共に優れた半導体素子として、カメラ用シリコンフォトダイオードの開発を要請されました。当時より、シリコンフォトダイオードはカメラの露出計や計測機器用のセンサとして有望視されていました。この分野において当社は後発でしたが、電子管の開発、製造で蓄積したさまざまなノウハウや販路が役立ち、その後の固体事業部の主力製品へと成長しました。
1,000,000,000,000,000分の1秒への挑戦
ストリーク管
1,000兆分の1秒を1フェムト秒と言います。1フェムト秒は、1秒間に地球を7周半できる光でさえ、たった0.0003mmしか進むことができないというごく短い時間です。自然界は、こうしたわずかな時間に起こる現象が積み重なり、あるいは反応しながら作り上げられていると言えます。つまり、自然界を解明するためには、このわずかな時間に起こる現象を明らかにする必要があります。この超高速現象を捕えるのがストリーク管です。
コンピュータとの接続で新境地を拓く
コンピュータ用ビジコンカメラ C1000
1971年マイクロコンピュータが発売され、急速に普及していきました。当社はいち早くコンピュータ用テレビカメラという新境地を切り開きました。コンピュータにより、複雑な画像処理も可能となり、各分野で応用が広がりました。このコンピュータとテレビカメラの組み合わせは、現在のシステム製品に受け継がれています。
拡大・発展期 (1960~1969)
ホトニクスの時代 (1978~1985)
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